トイカメラ”ピオニール”で撮ったプラハの写真・・・”
最後にピオニール”小史を付けて。
トラム車内。夫婦喧嘩する真ん中で女の子が黙って風船を突っついていた。
ヴルタヴァ川夕暮れ。
マサリク駅。
猛禽類保護活動家。
フランク・ゲーリー設計ダンシングビル。(プラハに行くたびにこのビルを撮影しているが、初期に撮ったこの写真が気に入っている。)
1968年に起きたチェコスロバキア変革運動「プラハの春」がソ連軍軍事介入によって弾圧されたとき、ここで抗議の焼身自殺をしたヤン・パラフとヤン・ザイーツの記念碑。−−−画面中央の光線漏れはヤン・パラフとヤン・ザイーツの霊だと思っている。
チェルトフカ(悪魔の水路)
佇む男、ルドルフィヌム前交差点。
突然の雨。
エンジェル駅。プラハ・エンジェル、ジャン・ヌーヴェル設計。
カレル橋上で子どもと眼が合ってしまった。
カレル橋夕暮れ。
プラハ城の裏道(クラーロヴスカー・オボラ)を行くカップル。
嫉妬、あるいはシャドー・ファイト。ヨゼフ・スーデックへのオマージュ。
コヴァジョヴィッチ邸、ヨゼフ・ホホル設計。
小地区広場(マロストランスケー・ナームニェスティ)多重露光。
聖ヴィート教会の尖塔から。
聖マルティンのロトゥンダ(円柱礼拝堂)際を歩く修道者。
”ピオニール”の歴史。Fit~Fit IIーPionyr~Pionyr II
1946年チェコスロバキアでFitという(フランスの)Photaxのコピー・カメラが発売される。Phototaxは6X9判だが、Fitは6X6あるいは6X4.5判だった。
FITの横幅を縮めたデザインのPionyrピオニールが発売される。
初期のピオニールにはDUFAという会社名がエンボスされているが、DUFAはカメラメーカーではなく、ベークライトの会社。同じボディを使ってネームプレートを変えただけのカメラが旧東欧圏の各国で発売された。
1950年からカメラ・メーカーDRUOPTAがPIONYRを製造。DUFAという刻銘そのまま。
1957年よりPionyr II生産。
基本的な色は焦げ茶(黒)だが、数は少ないが赤茶、緑がある。